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2015.01.12 Monday

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    2012.06.03 Sunday

    〈エッセイ〉について

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      いちおう、このブログの記事を〈エッセイ〉として分類しているのだけれど、それでいいだろうか。〈エッセイ〉というのはなかなか得体の知れない文章なので、どうもこれが〈エッセイ〉です、と言い切る自信がない。この〈エッセイ〉というものについて、今手元にある立原道造の〈エッセイ〉から考えてみたい。まずは引用してみる。

       

      「文学の領域に随筆或はエツセイといふジヤンルがあることを考へる。これは家常茶飯の人生に触れ、その持味をきはめて生かして行くことを本領とする芸術である。音楽・詩・絵画・彫刻・舞踏などの精神が、人生を離れて(芸術至上などを言はず人生派の芸術を考へてみよ、それでさへ人生からのひとつの飛翔である)豊饒な芸術の沃野に人生を設定することにくらべ、これは人生から離れることの出来ない芸術である。従つてエツセイはそれぞれの芸術専門家を要しない。人間でさへあれば、人生に真摯に生きさへすれば、よきエツセイは彼から生れる。」(「住宅・エツセイ」『建築』再刊第1号 昭和11年7月)

       

       ぼくは立原の文章が好きなので、えいえん引用してしまいそうになるが、とりあえず、ここで〈エッセイ〉というものは「人生(ダス・レーベン)」と深く関わる文章だと言ってる。はて、「人生」とは何だろう? 単純に「生活」と考えていいだろうか。そうだとすれば、これまでぼくが書いてきたブログの記事は「生活」に密着したものだったから、ちゃんと〈エッセイ〉してると言ってもいいかもしれない。が、それだけでいいだろうか。その質の良し悪しはきちんと問われなくてはならないだろう。

       

      さて、質の良い〈エッセイ〉、魅力的な〈エッセイ〉とは何か。具体的な〈エッセイ〉を挙げて考えてみることにしよう。

      ぼくが好きな〈エッセイスト〉にアーサー・ビナードがいる。この人は詩人なので立原が言う「芸術専門家」に入ってしまうのだが、そこは措いておこう。何冊か〈エッセイ〉集を出しているなかで、とりわけ『空からきた魚』(集英社文庫 平成20年2月)が好きだ。好き、ということはそれなりに魅力があるということだ。では、どういうところが好きなのだろうか。

      「ミスった?」という話を見てみよう。そこにはビナードの父方の祖父がラストネーム「Binard」のルーツを調査しはじめたことが書かれてる。それがきっかけで「Binard」のスペルをめぐる論争が起こりだして、ほんとうは「Benard」なんじゃないかっていうミス説が出てきたりする。そんな、きわめて私的なお話だけど、自分の苗字が間違えて伝わってるなんてことがあると思うと少しクスっとなる。だから、おもしろさ(その1)を挙げるとすれば、「極めて私的だけど読者にとっても身近な話」ということになるだろうか。

      それから、ビナードは日本の話をしだす。自分の名前が間違ってるかもしれないことから、日本の「銀杏」が間違った綴りで伝わってる(ginkgo)ということに展開する。ここで、そうか、ううむ、なるほど、となる。つまり、ここが妙味なのだと思う。ビナードの名前が間違ってたかもしれない、それだけの報告だったら、おもしろいけれど何だか日記っぽい印象を受けると思う。ところが、ビナードはそれをアメリカ人という立場から、日本の話と接続させて、もう一歩進んでちがう発見を見せてくれる。「身近だった話」がもっと身近になるのだ。だから、おもしろさ(その2)(その3)があるとすればこうなるだろう。「異なる二つのものを接続し、展開する」、「著者の話が読者の話にもなる」。

      これはほんの一例にすぎないから、これが〈エッセイ〉の本質だと言うのではないけれど、少なからず魅力のひとつと言うことはできると思う。そして、こうした〈エッセイ〉の魅力をぼくの〈エッセイ〉に敷衍して見てみると、ぼくはおもしろさ(その1)で留まってしまっている。それがぼくの記事を〈エッセイ〉としてしまうことに疑問を持たせているのだ。つまり、ぼくの記事はぼくの「生活」のみに留まり、読者の「生活」に接続していかないということだ。「人生」はきっと、ぼくの「生活」と他の人たちの「生活」の集合体のはずなのだ。読者(他の人たち)の「生活」に触れてこその「人生」なのだ。だから、ぼくはまだ個人的な〈日記〉を書いているばかりで、読者にコミュニケートする〈エッセイ〉を書くことができていないのだろう。

      おもえば、立原の「住宅・エツセイ」という〈エッセイ〉も「住宅」と「エツセイ」という二つの異なるものを見事に接続してみせた。「住宅」もまた「人生」と密接に関わっているとして。そして、こうしてぼくを動かせてみせた。それが〈エッセイ〉なのだ。

       

      しかし、またこうして〈エッセイ〉を書こうとしてみたけれど、(その2)まで進めたかもしれないが、やはり(その3)までいくことができない。そのうえ、(その1・2)もおもしろくなくてはならないから、まだまだ課題は山積みだ。ただ、書かなければ成長もないので、たまにこうして夢みたいなことを書いてみようと思う。「人生」に真摯に向き合いながら。でも、あんまり長々書くのもよくないので、このあたりで切り上げて最後に立原の文章で締めることにする。立原さんありがとう。

       

      「住宅・エツセイといふ、このちひさいエツセイはここでをはりである。読者諸氏よ、この夢の上に、あなただちの夢を架け、その夢の上に、ふたたびこのエツセイを組み立てなほされよ。其の時あなただちが建築に対して浪漫派風な思ひの必要を共感せられたならば、このひとつの試みにすぎなかつたエツセイは満足するであらう。」(「住宅・エツセイ」)

      2015.01.12 Monday

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