<< 『詩とファンタジー』に入選 | main | 〈エッセイ〉について >>
2015.01.12 Monday

スポンサーサイト

0

    一定期間更新がないため広告を表示しています

    2012.05.09 Wednesday

    〈同人誌〉という表現形式――文学フリマの感想

    0
        第十四回文学フリマ(2012.5.6)にて。

       

      文学フリマで買ったものについて少しだけ感想のようなものを書いてみようと思う。単純に書いてみたくなったから書く。つまり、それらにはそれだけの力があったということをはじめに言っておきたい。買ったものは以下の通り。

       

      ・『遡』

      ・文:平方二寸、絵:野津あき『崖が鳴るより大きな声で』

      ・野津あき『ずぼらなズボンさんと大きな軍手』

      ・山本梢『味覚の詩』

      ・浅見恵子『抜け殻を抱く』

      ・『ねこま』3号

      TOLTA『最後のトルタ』

       

       書き上げてみると、思っていた以上に多い。文学フリマに行くと、知らないうちに散財している。僕はアマチュアの詩人や小説家の書くものを読むのが好きな方なので、(といってもかなり読むものは選ぶが)こうしたイベントは散財してもすごく楽しい。そのうえ、出店している身になると他の出店者たちとも交流できるからなおのこと楽しい。文学フリマ事務局の方々には本当に感謝している。こういう場にまた出るのが楽しみで、次回に向けてがんばろうとも思う。

       

       さて、その文学フリマの戦利品について何を書きたくなったのか、ということだ。それは、〈同人誌〉という媒体の特殊性みたいなものが気になったからだ。小説や詩がどういう媒体に載っているのかということはとても重要なことに思える。紙面上で作品がどう振る舞っているのかということは読み手に対して大きく影響を与えると思うからだ。フォントから紙の色や素材、レイアウトから表紙にいたるまで、すべてが読み手に対して訴えかける。だから、自身も紙面の編集に携わることができる同人誌という媒体は、書店で手に入る本一般とはどこか趣がちがう気がする。もちろん、印刷所で製本したものと、手製本のものも厳密には分けて考える必要があるかもしれないが、今回は措く。

       

      では、何について話そう。いちばん感銘を受けた『遡』という「総合文化同人誌」について話そう。この同人誌はたいへん美しい製本になっている。表紙はオリエンタルなイラストが描かれていて美麗だ。サイズもB6版で手になじみやすく、これらの要素だけでも買ってみたくなる。だが、表紙にはイラストだけで何の冊子なのかさっぱりわからない。まずは開くことからはじめよう。

      「遡」と書かれ、植物のようなイラストが添えてある。まだ何の冊子なのかわからない。次のページをめくる。目次があらわれる。そこには「詩群 「夜」」、「およそ130のステップ」、「市川春子と松井冬子の身体世界」、「僕と君と僕たちのかいぶつ」、「ディスカホリックはゾンビと踊る」、「光」と、6編のタイトルと著者の名前が書かれている。これらが詩なのか小説なのか、あるいは評論の類なのか、まだわからない。では、また次のページ。行分けした言葉が並ぶ。「詩群」と書かれているからどうやら詩らしい。それらを読み終えると、段落の頭が4マス下がった何かが始まる。なぜ4マス下がっているのか。読みすすめると、『およそ130のステップ』というタイトルがあらわれる。あれ、タイトルの前から作品がはじまっているのか。いや、これは前の詩のつづきで、これも詩群なのか。だが、そこには「長い前書き」と書いてある。『およそ130のステップ』の前書きなのだろうか。なおも読みすすめていく。これは詩? 小説? もうそんなことはどうでもいい。またページをめくる。「市川春子と松井冬子の身体世界」。市川春子は漫画家だ。どうも批評がはじまるらしい。「あいまい」について語られはじめる。そして、参考文献が書かれ、批評が終わったことがわかる。ページをめくる。「僕と君と僕たちのかいぶつ」。「僕」と「君」と「かいぶつ」の字がやたら大きい。作品はもうはじまってるようだ。「吉田群青」という名前らしいものすらこの紙面ではもう作品の一部のようだ。それから短歌のようなものが連なっていく。一ページに3首。しかもこのフォントは「HGP明朝B」か。ボールド体でもある。フォントのサイズも大きい。これまでの作品は「MS明朝」。明らかにこの作品は異質だ。さらに、二首、三首と、マスがどんどん下がっていく。これら三首はつながっているのか。わからない。45首。読み終える。すると「ディスカホリックはゾンビと踊る」というタイトルが来る。CDのジャケットの下に横書きで解説のようなものが書かれている。どうやら音楽評論みたいだ。それが9つ。そうして、「光」というタイトルがあらわれる。本文が長いし、「グァン」という人が出てくるから小説のようだ。それにしても、これだけ本文のフォントが濃い。これまでの「MS明朝」とはちがって、太く、濃い。それが50ページ以上続くから、なんとなくこちらは威圧感を感じる。

       

      読んだ過程を追うだけで長くなってしまったが、それぞれの作品の紙面でのふるまい方がぜんぜん違うものだということはわかると思う。僕はこの『遡』という同人誌に責任編集者がいるのかどうかわからない。そして、その編集者がこうした紙面のレイアウトをしたり、フォントを決めているのかもわからない。ただ、僕が編集者であれば、あらかたフォントやサイズなどはそろえるだろうから、そうしたものは各々の作者の好みで選択されているものだと考える。すると、こうした紙面でのあり方も作品のうちと考えなければならないのではないか。そのときに、物語内容と語り、フォントの種類が特にマッチングしていると思うのが「光」だ。

      これはグァンという万頭屋の息子と、アンという良家の娘をめぐる物語で、「光」というタイトルにしては暗い話がつづく。その語りは突き放しているが粘っこく、皮膚を撫で付けるような、感覚的で、ある種の「気持ち悪さ」を含んだもの。どろどろして血腥くて、さっき産み落とされたばかりの何か。そんな内臓が疼くような感じで決して気持ちよくないのだが、なぜか続きを読んでしまう妙な語り。それが濃いフォントでこちらの目に飛び込んでくるのだから、「見ろ!見ろ!目をそむけるな!」と言われてるようだ。その意味で物語や語りとフォントは相乗的に働いている。

      そんなことを考えていると、グァンのもとに赤ん坊がやってくる。産まれたての何か、得体の知れないもの、読んでるときにそんなイメージが頭のなかを巡っている最中に、赤ん坊があらわれたのだから驚いた。その子には名前もないし、グァンにとって弟なのか息子なのかもわからない。だが、それはやがて赤ん坊が教えてくれると作品中で語られる。

      この小説は、何か異質なものとして生れ、不完全で何とも決められないもの、それがいったい何なのかという問いを抱えているようだ。自身を「子供をこの世界に出すだけの筒」だと思っていたアンが、子供を生むことができないとしたら「女でもないし、男でもない。何なんだろう」と問うところも、そうした問題の延長にある気がする。

      こうして「光」は、よくわからない何かに光を当てる。それは紙面の上でもよく見えるように濃い字でこちらに迫ってくる。その光は「星という神様の光」だ。どうしようもなくそれは美しいのだ。そして、その光に照らされた何かは、いずれ自ずから自身が何であるかを語りだす・・・。それは「光」という作品自体、さらには『遡』という同人誌自体にも敷衍できることかもしれない、というのは言いすぎにしろ、何かを宿した作品であることにはちがいない。冒頭で、何か書きたくなる力を持っているということはこのことだ。

       

      また、同人誌という話についてもう一つ、野津あきさんの『ずぼらなズボンさんと大きな軍手』にも触れておきたい。野津あきさんはこれまで文学フリマでは絵本を売っていて、僕がすごく好きな絵を描くので、今回もブースを訪ねた。すると、驚いたことに大きな一枚の紙を売っていた。その一枚の大きな紙は三つ折にされていて、その一面一面には漫画のようなものがぎっしりと描かれている。すべてカラー。そして、タイトルの通り、主人公はズボン。文字通り、見たまんまズボン。そしてズボンさんはなぜか大きな軍手を寝床にしている。その軍手にはピーナツを入れているのだが、ある日ズボンさんが目を覚ますとピーナツがなくなっている。それに怒ったズボンさんはピーナツ泥棒を探しに出かける・・・。この大きな紙といい、ズボンさんといい、軍手が寝床といい、どうしてこんな作品が生れたのかわからない。めちゃくちゃ読みづらいから普通の冊子のかたちにして欲しいし、ズボンが主人公とかぜんぜん意味がわからない。でも僕はこの作品に会えたことがすごく嬉しい。なんだこりゃ!?という驚きを味わえるのが嬉しい。だから、同人誌という媒体には、書店で売られている本一般では出会うことのできない作者自身に出会える。小さくまとまる人、ダイナミックにドカーン!とやる人、几帳面な人、がさつな人、それぞれの同人誌が個性を持ち、それぞれの作品はある種の時間芸術のような、そんな一回性を帯びたものとして僕らの前にあらわれては通り過ぎていく。

      同人誌という表現形式について、冊子という点で流通が難しく、閉じられたものであると批難されることもある。だが、僕は文学フリマをはじめとする流通の場がある限り、同人誌という媒体にはこだわり続けたい。また次回も楽しみにしながら、好き勝手に思ったことを書く感想はここまでにしよう。買ったもので、触れていないものについては、また機会があれば書いてみようと思う。

      みなさん、楽しませてくれて本当にありがとう。


      http://d.hatena.ne.jp/jugoya/20120506

       

      2015.01.12 Monday

      スポンサーサイト

      0
        コメント
        コメントする








         
        この記事のトラックバックURL
        トラックバック
        Calendar
             12
        3456789
        10111213141516
        17181920212223
        24252627282930
        31      
        << December 2017 >>
        PR
        ブクログ
        人気ブログランキング
        人気ブログランキングへ
        Twitter
        Follow
        Selected Entries
        Categories
        Archives
        Recent Comment
        • それぞれにつぶやき──第15回文学フリマの感想
          青 (11/30)
        • それぞれにつぶやき──第15回文学フリマの感想
          昏林 (11/30)
        • それぞれにつぶやき──第15回文学フリマの感想
          青 (11/29)
        • それぞれにつぶやき──第15回文学フリマの感想
          御拗小太郎 (11/29)
        • それぞれにつぶやき──第15回文学フリマの感想
          青 (11/29)
        • それぞれにつぶやき──第15回文学フリマの感想
          深街ゆか (11/29)
        Recommend
        Links
        Profile
        Search this site.
        Others
        Mobile
        qrcode
        Powered by
        30days Album
        無料ブログ作成サービス JUGEM